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縄文遺跡

縄文時代―島根県匹見町―

”皆さん、匹見町には貴重な遺跡群が多数存在することをご存じですか” 昔からこの地域では、うっそうとした広葉樹林が広がり、そこでさまざまな生命のドラマが繰り広げられました。果実が実り、鳥が舞い、そして清流にはサケやマス科の魚たちがはね、獣が群れる。それを先人たちが追っていく・・・。そうした中で先人たちは、生活していく上での独自の”広葉樹林文化”が形成していった。そんな当時の生き生きとした面影を、現在、当町内に多数遺されている彼らの遺跡(古代遺跡群)から垣間見ることができます。ではここで、具体的に先人たちの足どりを辿ってみましょう!

匹見地域に最初に人々が定住したのは、今から2万3千年前という気の遠くなるような遥かな昔だったのですが、時を超えた今、当町内にとっては先土器時代(旧石器時代)の遺跡はもとより、縄文時代の遺跡を中心として約40ヶ所程度確認しております。島根県下で最も古い新槙原遺跡(県指定)にはじまり、田中ノ尻、石ヶ坪、水田ノ上、イセ、ヨレなどの縄文遺跡、下手などの弥生遺跡、和田、江田の古墳などが発見され、なかでも水田ノ上遺跡の集石の環状になった、いわゆる”配石遺構”が西日本で初めて発見され、今や考古学的価値の高さも手伝って関係者の間では熱い注目を浴びています。その他に田中ノ尻では、1万年前後の調理跡と思われる”集石炉”が発見され、ヨレ・イセその他数ヶ所には、竪穴住居跡・トチの実の貯蔵穴も発見されており、トチもちは今日においても食べられています。そんな縄文の息遣いが現在も息づいています。

さて、他にどんなのがあるのでしょうか。例えば石ヶ坪遺跡からは、九州との交流を物語る並木、阿高式の土器が出土しており、水田ノ上遺跡では、県下で初めての土偶や勾玉などの呪術具、そして弥生前期の日本の源初的な銅戈も発見されました。さらにヨレ遺跡では、日本最古級の鳥型土製品も出土するなど、当時の様相を知る上で貴重な”宝物”がいっぱいあります。
いかがでしたか?皆さんには匹見町の考古の世界をよ〜く判ってもらえたことと思います。一度こちらに訪れて、清列な大自然の中、の〜んびりと縄文人のささやきに耳を傾けながら、”心の洗濯”をしてみませんか!きっとあなたにも縄文人たちが声をかけてくれるはずです。
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匹見町観光協会
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